こんにちは、ひがっちゃの中の人です♪
初夏になり、いよいよさくらんぼのシーズン到来!という感じですね(*ˊᵕˋ*)
今回は東根市四ツ家地区にある「與次郎稲荷神社」に来ています。
東根ガスト駐車場の向かいにある少し小さな道を先に進むと、こんな鳥居が現れます。
こちらは「六田の石鳥居」。最上三鳥居の一つで室町時代に奉納されたものです。
大きくて立派な石の鳥居ですね。
こちらの鳥居は昭和41年(1966年)に東根市指定有形文化財・文部省指定の重要美術品に指定されています。
石鳥居をくぐりますと…
たくさんの赤い鳥居。
お社はこの赤い鳥居をくぐった先にあります。両側には社を守る白い狐が。
この地区に住む人々に愛されている與次郎稲荷神社ですが、ちょっと切ない伝説が残されているのをご存じですか?
與次郎稲荷神社に伝わる伝説
昔、佐竹義宣という武将がおりました。
佐竹義宣が常陸国(今の茨城県)から出羽秋田に移り住むことになり、現在の秋田市に久保田城を築城したところ夢枕に一匹の白狐が現れ
「この山に300年ほど住まう狐の長であるが、この城が築城されたので住処を失ってしまった。代わりに住まう土地を賜りたい。この願いを聞き届けてくれるのならば、今後は永く城の守りとなろう。また、火急の用あらば飛脚となって江戸まで6日で往復しよう。」と訴えました。
それを聞き入れた佐竹義宣は白狐に城北の茶園近くの土地を与えました。
白狐は「茶園守の與次郎」と呼ばれ、江戸の情報をいち早く秋田に伝えたり幕府の隠密の動きを封じたりと、飛脚として御家安泰に一役買ったため たいへん重宝されました。
與次郎が宿とした六田村にある間右衛門の宿の娘 お花と恋仲になり、自らが白狐の化身だとお花に告白しますが、二人の仲は変わりませんでした。
ところが與次郎は、彼の活躍を疎ましく思う者たちによって矢で射抜かれ命を奪われてしまいます。
その後、六田村では厄災が立て続けに起こりました。
與次郎を射抜いた男は発狂・妻子を殺して自身も死んでしまいました。
村には疫病が蔓延し多くの人が亡くなったり、火事が起きたため村のほとんどが焼けてしまったりもしました。
残った村人たちは「これは與次郎の祟りだ」と恐れ、ついに幕府の命令で慶長16年(1611年)に與次郎稲荷が建立されました。
佐竹家では秋田の久保田城内にも與次郎稲荷神社を建立し、参勤交代の折にも東根市四ツ谷にあるこちらの神社にも代々藩主が参拝したとされています。
それ以降、村でそのような怪異は起こらなくなりました。
恋仲であったお花は、與次郎の亡骸をこの辺りに埋葬したあと姿をくらまし、二度とこの村に戻らなかった…ということです。
このお話は秋田県でも語り継がれているものなのですが、内容は東根市に伝わるものとは少し異なるようです。
與次郎は健脚の神さま!
そんな 少し切ない伝説として語り継がれている與次郎稲荷神社ですが、健脚・スポーツ・縁結び、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全、進学成就のご利益がいただけるとのことで崇められている神さまです。
参拝に行った日も「足が速くなりますように!」というお願いごとが書かれた絵馬がたくさん奉納されていましたよ。
東根市に住んでいても知らない民話がたくさんあるものだな、と思います。
意味なくその土地に寺社仏閣が存在するわけではなく、理由があるからそこに存在するというか…少し調べてみると様々な謂れがあるんですね。
運動会やスポ少、部活など走る機会が多い子どもたちにも頼りにされている神さまです。
秋田県に存在するもう一つの与次郎稲荷神社、次回お出かけする際に訪れてみたいなと思っています!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました(*ˊᵕˋ*)