市内のさくらんぼシーズンが落ち着きましたね。
先月はちょっとした散歩コースを歩くだけでも、さくらんぼの木に赤い実がちらほら見られました。
見慣れた光景ではありましたが、この時期がくると今から暑くなるな~という予感がして、なんだかワクワクしました♪
前回通りがかったときから
こうなりましたね。
東根はさくらんぼの名産地
ところでなのですが、山形県を含め東根市って「私たちの地域はさくらんぼの名産地!」ってうたっていますよね?
もちろん、市民の私たちもそれを誇りに思っている訳ですが…さくらんぼってどこから来たの?
そこら辺の畑から、ぽっと出たわけでもあるまいし…?
…と写真を撮りながらふと思ったので自分なりにまとめてみました。
参考にさせていただたURLはこちら山形 味の農園
また、山形県の公式サイトで公開しているさくらんぼ年表も参考にさせていただきました。
山形には日本に上陸した7年後に持ち込まれた
さくらんぼが日本上陸したのは明治元年。
山形県に持ち込まれたのは明治8年(1875)のことだそうです。
全然ピンとこない !!! ( º∀º ) !!!
私は歴史があまり得意な方ではなく縄文時代から令和までの元号を時系列で正しく言えるのかどうか怪しいです 汗
昔話とか童話のようなお話は好きなんですけど…ごにょごにょ。
ちなみに、いまのように“さくらんぼ”と呼ばれる前は“桜桃(おうとう)”という呼称が一般的だったようですよ。
そういえば、東根のお年寄りの方は「おうとー」って言っているの聞いたことあるなー
原産地ですが、西南アジア地方(現在のトルコ・サウジアラビア・イラン・イラク・アフガニスタンです)で自然に育ち、人や鳥が食べていたものが広まったものといわれています。
なるほど。
やっぱり東根の山奥とか畑から自然に生えた訳ではありませんでした。
でも、その頃のさくらんぼって多分もっと原始的で、今のように甘味のある美味しいものではなかったと思うんですよね。
寒河江でさくらんぼの缶詰を開発
話を戻しますが、その後は明治21年(1888)に寒河江市の本田成充氏らが試験場をつくって栽培方法を研究し、井上勘兵衛氏が販売を拡大するために桜桃(さくらんぼ)缶詰という商品を開発しました。
当時は生食用のさくらんぼを遠方に届けるのはとても難しいことだったのでしょうね。
東根は「佐藤錦」を開発
大正元年(1912年)に東根市の佐藤栄助氏がさくらんぼの品種改良に着手。
「佐藤錦」というたぐいまれなさくらんぼを開発し、岡田東作氏が拡販普及しました。
さくらんぼ駅前の、こちらの銅像は佐藤栄介氏ですね!
東根市民にとってはすごく馴染みがありますよね。
宅配便の開発者、小倉正男氏の取り組んだ「ヤマト宅急便」も、痛みやすいデリケートなさくらんぼの生食用の発展に大きな貢献を果たしました。
個別のお届けシステムを整えてくださったのですね。
調べてみて初めて知ることが多かったのですが、せっかく作っても求めている人の元に届かなければ意味がありません。
様々な仕事をしている周りの方々が力を貸してくれたからこそ、ここまで有名になったんだな~。
本当にざっくりとですが、まとめるとこのような感じになります。
これほどまでにたくさんの方々が苦労をいとわずに多くの時間をかけ、たくさん考えて行動してくれたから現在のようにおいしいさくらんぼが食べられるようになったのですね。
さくらんぼは美容にもいい?
ちなみにですが、さくらんぼにはカリウムや鉄、カロチンやビタミンなども豊富に含まれています。
女性はもちろん人間にとって、とても良い栄養素がたっぷりです。
疲労回復にもとても良いのだそうですよ!
山形県の女性のお肌は綺麗だな~と思っているのは、私だけはないはず。
さくらんぼを上手にお料理やおやつに取り入れて、まめに食しているから、というのも関係あるのではないでしょうか?
今年は、さくらんぼ狩りなどの体験は見送りされる農園さんもいらっしゃって、地元のみなさんで協力し合いながら収穫されていたようです。
東根産のさくらんぼは、県外はもちろん海外からのお客様にもかなり好評をいただいております。
農家さんが一年かけてさくらんぼを育て上げる苦労は計り知れません。
こんなに美味しくてきれいな、栄養価の高い果物ですし、みんなに食べてもらわないともったいないですよね。
あとがき
今年は特に少しでも宣伝や消費に貢献できるようにしていきたいなと思いました。
まなびあテラスには、さくらんぼ作りが始まったばかりの東根市の様子を記した小説やDVDなども揃っています。
今回記事を執筆するにあたり、参考に読ませていただきました。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました(*ˊᵕˋ*)
ひがっちゃの中の人でした。